司馬遼太郎 名言集
司馬 遼太郎 〔しば りょうたろう〕 (1923 - 1996) 本名は福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪市生まれ。産経新聞社在職中、「梟の城」で直木賞を受賞。以後「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観に基づいて、それまでの歴史小説に新風を送る作品を数多く執筆。日本の大衆文学の巨匠とされる作家。著書には歴史小説・エッセイ・紀行など多数あるが、「竜馬がゆく」「国盗り物語」「街道をゆく」などが特に有名。1965年に刊行された「功名が辻」は、2006年NHK大河ドラマ「功名が辻」の原作である。
( 「二十一世紀を生きる君たちへ」 から抜粋 )
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以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていく上で、欠かすことができない心がまえというものである。
君たち。
君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。
私は、君たちの心の中の最も美しいものを見つづけながら、以上のことを書いた。
書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。
一生というものは、
美しさを作るためのものだ、自分の。
そう信じている。
おれは、かつて、おれ自身に惚れこんだことがなかった。
自分に惚れこみ、自分の才を信じて事を行えば、人の世に不運などはあるまい。
人間は、自然によって生かされてきた。
古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。
このことは、少しも誤っていないのである。
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。
議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬ、と自分にいいきかせている。
もし議論に勝ったとせよ。
相手の名誉をうばうだけのことである。
通常、人間は議論に負けても、自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである。
勇気と決断と行動力さえもちあわせておれば、
あとのことは天にまかせればよい。
人生は一場の芝居だと言うが、芝居と違う点が大きくある。
芝居の役者の場合は、 舞台は他人が作ってくれる。
なまの人生は、自分で、自分の「がら」に適う舞台をこつこつ作って、その上で芝居をするのだ。
他人が舞台を作ってくれやせぬ。
人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるということだ。
人間には志というものがある。
この志の味が人生の味だ。
物事は両面からみる。
それでは平凡な答えが出るにすぎず、智恵は湧いてこない。
いまひとつ、とんでもない角度 ― つまり天の一角から見おろすか、虚空の一点を設定してそこから見おろすか、どちらかしてみれば問題はずいぶんかわってくる。
人の一生というのは、たかが五十年そこそこである。
いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。
たとえその目的が成就できなくても、その目的の道中で死ぬべきだ。
生死は自然現象だからこれを計算にいれてはいけない。
以上